東大生のツラツラ

東大の授業の様子や自分が普段考えたことをツラツラと綴っていきます。読者登録やコメント等とても喜びます笑

日本政府の支持率が下がってる理由とは?

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(このnoteは僕の政治的立場を表明するものでもなく、特定の政党を支持するよう仰ぐものでもありません。)

 

ちなみに僕は政治に関してびっくりするほど疎い。なので、今から考える理由ももしかしたら意味わからんものになってるかもしれない。(本人はいたって真面目)

 

そして本題に入る前に、キャッチ画像の人物が気になった人がいるかもしれない。これは『僕のヒーローアカデミア』に出てくる爆豪という人物だ。


ちなみに、僕が好きなだけなので内容とは全く関係ない。

 

ということで本題に入る。

 

今回はたまたまTwitterでみた一つのツイートを見て、僕が考えたことを綴っていこうと思う。

それがこちら

 

 

 


ツイートの内容を要約すると
"諸外国に比べて日本は新型コロナの封じ込めに成功しているにも関わらず、なぜ支持率が落ちているのか"である。

 

このツイートのリプ欄に『景気が良いと支持率が上がり、悪いと支持率が下がる。ファクターはそれだけです。』とあった。

 

それだけだとどうも納得できない。

 

もう少し深掘りして『どうして景気が悪いと政府の支持率が下がったのか。』を検討しようと思う。

 

僕が妥当だと考える支持率がさがる理由は2つある。

理由①:政策が失敗したとき。
理由②:政府が不祥事を起こしたとき。

 

不祥事を起こすというのは汚職あたりがすぐに思い浮かぶ。
逆にこれ以外知らない(笑)

 

ということは、今回考えられるのは理由①に分類されることがわかる。

 

コロナウイルスの政策が失敗したとするならば、世間の様子を見てみるとどうもマスク配布が怪しい。

 

僕自身の意見としては、マスクをするだけで感染拡大が抑えられるというのを政府が示すのにこれ以上コスパの良い方法はなかったのではないかと思う。

 

まあここでマスクの是非を問うなどしても答えは出ないので置いておく。

 

マスク政策が失敗であると世間が判断しているとする。

 

そうすると、理由①により支持率がさがることは納得がいく。

 

しかし、冒頭の通り、今回日本は諸外国に比べ大きく新型コロナウイルスの封じ込めに成功していることを忘れてはいけない。

 

マスク政策も新型コロナウイルスを対策する上での一つの方法であり、封じ込めが成功してると言える以上、評価はプラスになるのではないか?

 

そしてそれは政治の支持率UPに繋がるのではないか?

 

こう考えてもおかしくないだろう。

しかし現実はそうはいかない。

 

ということで、支持率が下がっていると考えられる2つの理由を僕は唱えたい。

理由ⅰ:日本国民が新型コロナウイルスの政策を国外と比べることをしていない
理由ⅱ:心理学的な効果が人々に働いている。 

 

理由ⅰについて

これは、理由そのままである。

 

ちなみにこれが理由として正しいのであれば、新型コロナウイルスが発生した時点で、日本の政府の支持率ダウンが確定していたということになる。

 

新型コロナウイルスが流行したときに、総理大臣だった安倍さんどんまいということである。
小学校の頃よくやったハンカチ落としみたい。

 

つまり、新型コロナウイルスの影響がちょっとでも出た以上、政府に対する不信感が現れるということだ。

 

実際この理論は納得がいく。

 

そりゃあ、新型コロナ感染者が出て、想定されてるよりも感染者数は抑えれてるからグッド👍って数学的に考えられる人の方が少ないだろうし。

 

ただ、これはいろんな人が直感的にわかることだと思う。

 

僕が今回言いたいのはⅱについてだ。

 

理由ⅱについて

例えばこんな現象を知ってるだろうか。

 

ある地方のお天気お姉さんと、また別の地方のお天気お姉さんの人気度を測るとかなりの差が出た。

お互い容姿も綺麗であり、性格に難ありというわけでもない。

ちなみに一方のお天気お姉さんには『お前のせいで雨になった、殺す。』みたいな殺害予告が届いたこともあるとか。

 

二人の人気の差は、一方の地方で晴れが多く、もう一方で雨が多かったのだ。

 

要するに雨という天気を伝えてるお天気お姉さんの印象が下がるということだ。

 

もちろん僕たちは、お天気お姉さんが雨と予報することで雨になるなんてことはないってことは知っている。

 

しかし、無意識のうちに人はそれらを結びつけてしまうのだ。

 

ちなみにこれは『影響力の武器』の中で連合という言葉で心理学的に説明されている。
人は好意を感じるものと何かつながりを見出す傾向があるということだ。

 

車のCMに美女を起用するのも車に良い印象を持ってもらいたいからである。

 

そして、これは好意だけでなくヘイトにも当てはまる。

 

もうだいたい僕が何を言いたいのかわかったと思う。

 

コロナウイルスによる不景気が”安易に政府がダメであるという認識”に結びついたのではないかということだ。


連合とは恐ろしいものである。

 

しかし、これではなぜ不景気だけに世間の目が向くのかが説明できない。

 

どうして封じ込め成功が評価されていないのかだ。

 

それは、人間が獲得より損失に重きを置くことに由来すると僕は考える。

 

それはもちろん、人間が生きていく上で何かを獲得するよりも何かを失うことの方が遥かにヤバいからである。

 

これも心理学的には損失回避の法則などと言われたりする。

 

要するに、成功よりも失敗の方が人の頭には印象に残って仕方がないのだ。

 

もうこれで説明できるだろう。

 

冒頭のなぜ不景気なら支持率がさがるのか。
なぜ新型コロナの封じ込めに成功しているにも関わらず、支持率がさがるのか。

 

失敗要因が世間の関心ごとであり、連合によって政府の支持率低下に結びついたのだ。

 

まじで簡単にいうと、負のイメージってなかなか消えないよってことですな。

 

あくまで僕の考えの範疇を超えないが、割と的をえたものなのではないかと感じる。

 

これから第二波が来たらいよいよどうなるのだろう。

 

コロナウイルスは一旦0に抑え込んでからじゃないと、今までの自粛が意味なくなるのは小学生でもわかりそうなのに。

 

なるべく早くコロナウイルスが収束することを祈る。

 

 

 

 

目の前でお爺ちゃんが倒れた話。

 

昨日の夜の話だ。

 

僕はたけのこの里を買って、夜9時くらいの道を歩いていた。

 

音楽を聞いていたので、僕は自分の世界に浸りながら誰もいないと思っていた道を歩いていた。

 

しかし、そこにお爺ちゃんがいたのだ。

 

多分僕の前を歩いていたんだろうけど、僕が気づいた時には胸の辺りを手で押さえながらその場でくるくる回転していた。

 

ぼくは、最初、ちょっと気がおかしい人かなと思い横に逸れた。

 

しかしどうだろう。

 

そのままお爺ちゃんが、建物にめちゃくちゃでかい音を立てて衝突した。

 

その音のデカさといい、ただならぬ雰囲気を察したぼくは足を止める。

 

お爺ちゃんはそのままうつ伏せになって倒れていた。

 

僕は、お爺ちゃんに近づき声をかける。

 

呼吸が『ビュービュー』と聞いたことのない音がした。

 

これはまじでヤバいやつだ、と思った。

 

もちろん焦る。

 

話は去年の夏頃になるのだが、今大学で勉強してる関係上、赤十字の救急講習を受けていた。

 

そこでは119番通報からAEDの捜査まで全てが教えられたのだが、僕はそのときの経験を思い出した。

 

そしてこの事実を思い出したのだ。

 

『救急の人は1分1秒が命取り』

 

焦ってる暇はない。

 

そう思った僕は119番を押そうとする。

 

しかし携帯の充電が残りわずか。

 

電源が切れて情報が中途半端になるのはまずいと思い、僕はすぐさま近くの居酒屋にダッシュした。

 

人生で一番のダッシュだった。

 

お店に入り、みたことある店長に声をかける。

 

『そこで人が倒れてるので携帯持ってきてもらえませんか、119番お願いします。』と。

 

そしてお爺ちゃんの元に店長と戻った。

 

息が荒く、うつ伏せで本当に苦しそうだった。

 

目の前で命が消耗される感覚がこれほどまでに怖いとは思わなかった。

 

しかし、そうも言ってられない。

 

回復体位というものをご存知だろうか?

 

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怪我や病人が一番楽だと言われる姿勢のことだ。

 

僕はそれを先程の講習で習っていたのだが、それを思い出した。

 

うつ伏せから横向きに変えてあげようと。

 

そして店長と一緒にせーので横向きにしてあげる。

 

お爺ちゃんはを横向きにした途端、口から血が溢れ出した。

 

正直本当にびっくりしたし、怖かった。

 

ただそれよりもお爺ちゃんが心配だった。

 

どんな病気だ?助かるのか?

 

よくわからないまま、とりあえず血が喉につまらないよう顔を横向きにしてあげる。

 

救急車がそろそろ来る頃だろうと思い、ずっとお爺ちゃんに声をかけながら待っていた。

 

ちなみにその間一度も応答はなかった。

 

そしてようやく音が聞こえたと思ってきたのが消防車。

 

本当に信じられないミスをしでかしたのかと一瞬気が飛びそうになったが、すぐに救急救命士の方達が降りてきて、僕たちに事情を聞いてきた。

 

第一発見者は僕で、とりあえず色々聞かれた。

 

僕はみたまんまを話した。

 

そのあと救急車も来て、警察も来た。

 

ちなみに警察はチャリだった。

 

そしてお爺ちゃんが救急車に運ばれてそのまま解散の流れ。

 

僕はこんなカードをもらった。 

 

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少しだけ嬉しかったけど、とりあえずお爺ちゃんの安否が不安である。

 

今回このことを僕がブログに書こうと思ったのには理由が二つある。

 

1つは、救急のちょっとした知識だけだもいいから知っておくこと。

 

そして2つ目は携帯の充電はなるべく満タンにしておくことだ。

 

これはふざけてるわけではなく、自分の身を守るためにもとても大切なことだと思う。

 

警察から一応連絡先は聞かれたが、多分連絡はしないとのことだった。

 

またあの通りで、次はお爺ちゃんと元気にすれ違えることを願ってやまない。

 

皆さんもどうか、このブログを読んだら今一度救急の知識を5分でいいからネットで探してみて欲しい。

 

もう一度言う。

 

救急の場では1分1秒が大切なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

キネマの神様

ブログ書いてるそこのあなたに読んで欲しい本がある。

 

『キネマの神様』だ。

 

この本は、映画の話である。

 

会社に勤めてシネマ建設に携わり、順調にキャリアを積み上げていたものの、その仕事を辞めた娘。

 

ギャンブル依存症でありながら、映画が大好きな父親。

 

いつもダメな父親の尻拭いをする、優しいというか甘い母親。

 

物語は父親が心臓病で入院するところから始まる。

 

入院する日がちょうど娘が仕事を辞めた日だったのだ。

 

無事退院した後も、ギャンブルをしたくて仕方がない父親。

 

借金が400万あることが明らかになり、母親と娘はどうしてもギャンブルをさせまいとする。

 

そんな崩壊寸前の家族の父親と娘には唯一の共通点が。

 

そう、映画である。

 

娘はある日、父親がずっと書き続けていた映画日記を見つける。

 

そこには作品ごとの感想が書かれているのだ。

 

映画の感想は、独特の風に書かれている。

 

決して作品を貶さない、作品のいいところにあえてもう一度光を当てるような、そんな感想の書き方なのだ。

 

僕自身この感想文を読んだ時、筆者の表現力に感動してしまった。

 

少し俯瞰的に小説を読んでる自分に冷めながらも、筆者の映画の知識の深さをうかがわせるようなそんな感想文なのだ。

 

それに感動した娘は、感想を書き残し、その場を後にする。

 

後日、たまたまその文を発見した父が不慣れながらも映画サイトに娘の文を投稿する。

 

するとどうだろう、向こうの目にその文が止まり、娘は有名映画雑誌の専属ライターに抜擢される。

 

そこから物語は進んでいくのだが、僕は冒頭にブロガーの方にこそこれを読んで欲しいと書いた。

 

なぜなら、それは映画の話でもあり、映画のブログの話でもあるからだ。

 

この後父親と娘でブログを書いていくことになるのだが、そのブログが物語の鍵を握ることになる。

 

僕はブログを書くこと、いや、もっと言うと自分の感性を発信することの可能性をこの小説から学んだ。

 

そしてなんともう一つ、この物語のポイントは"映画館で"映画を見たくなることだ。

 

映画座という、少し小さめなスクリーンで館主が選ぶ映画2本を放映する、昔ながらの映画館が物語で出てくる。

 

ここで、こんなシーンがある。

 

映画なんて今時古い映画座で見ないでDVDで見る人がほとんどだろうという人に対して主人公が意見をいうシーンだ。

 

_____________

 

『映画は映画館で観てもらう。そのために、全ての映画人が努力しているのよ。そんなこともわかんないのあんたは。』

 

それだけじゃない。

 

莫大なお金と持てる情熱の全て。

 

映画人は人生をかけて映画を世に送り出している。

 

スクリーンに広がる世界に観客をどれだけ引き込めるか。

 

それこそが最も重要な結果であるのだ。

 

DVDで観られればいいや、と思って映画を作る映画人がどこにいるものか。

 

____________

 

 

と、このように映画を作成する人は映画館で放映される映画に価値を見出しているということがわかると思います。

 

映画館には神様がいるんです。

 

映画が終わってから、余韻を崩さないようにそっとつく明かり。

 

少し暗めで急すぎない坂の廊下を進んでいく。

 

そしてようやく出口で、現実の世界に戻ってくるのだ。

 

この、映画館全体で感じる映画という"芸術"の鑑賞を僕は今たまらなくしたい。

 

コロナが憎い。。

 

作品のネタバレは一切してないつもりなので、興味がある方は是非是非是非読んでみてください。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

プチプチをつぶしながらおっぱいを考える

荷物を梱包するあれ。

 

プチプチ。

 

幼い頃お世話になった人も多いのではなかろうか。

 

あの丸を潰す快感。

 

なんで快感なのかよくわからないけど、あの快感を再現するようなおもちゃもあった。

 

んでいま、たまたま荷物の中にあったぷちぷちと再会した。

 

久しぶりに潰していく。

 

ガチで気持ちいいww

 

これは幼いからじゃなくて、人間に埋め込まれた本能なのかしら。

 

そう思わずにはいられない、一応僕も歳をとったから。

 

ただ、僕はこれを潰しながらある仮説を考え出した。

 

『プチプチがなぜ気持ちいいのか。』

 

まず、空気が入った丸を探す。

 

これを本プチと呼ぶ。

 

逆に潰した後の用済みを済プチと呼ぼう。

 

最初はもちろん本プチしかないわけだから、潰すたびに快感を得られる。

 

しかし、ほとんどを潰し終わった後が問題だ。

 

数ある済プチをかき分けて、手探りで本プチにたどり着いた時、そこがまず第一の快感ポイントである。

 

そして潰すために、その本プチに力を入れて始める。

 

親指と人差し指に力を込める。

 

潰さないで!と本プチは反発。

 

その間、本プチが微かに横に膨らむ。

 

些細な抵抗も虚しく、『プチッ』という音を立てながら本プチは済プチへと変化する。

 

この、少し力を入れて弾ける過程、弾ける瞬間に私たちは快感を覚えるのだ。

 

これ『おっぱい』と同義である。

 

『おっぱい』という言葉を考えて欲しい。

 

『お』という母音で離陸するその言葉は、最初母親の温かさを思い出させる。

 

母の偉大さが『お』につまっている。

 

しかし、温かさだけではない。

 

同時に私たちはその『お』に母親の怖さを見出すのだ。

 

そんな不安と同時に出発した『おっぱい』、次に待ち構えるのは『っ』である。

 

ここでなんと、一旦溜めるのだ。。。

 

そう、まるで本プチを押してすぐには潰れず、ささやかな抵抗をするかのように。

 

そして、次の瞬間、『ぱ』で一気に弾ける。

 

ぱぴぷぺぽのパ行で弾けるというイメージがあるのは僕だけではなかろう。

 

そう、この『ぱ』は本プチが済プチに変わる瞬間なのだ。

 

そして最後、この旅の締めくくりはやはり、母を思い出させる母音の『い』。

 

なんとも言えない安心感と共に、僕たちは『おっぱい』と今日も発声を終えるのであった。

 

プチプチをつぶしながらふと思ったことでした。

 

プチプチ。

 

はてなブログってやっぱ良いかも

いやー、僕2月くらいからWord Pressの方でブログ頑張っててー。

 

よかったら見てね、https://turatura.jp

 

それでふと思ったんですよ。

 

はてなブログってTwitterとWord Pressの中間だなって。

 

どゆことかっていうと、Twitterは140字の制限がある。

 

WordPressは制限ないけど、適当に綴るだけではあんまり上手くいかない。

 

そう、はてなブログは制限なしに無限にツラツラ綴れるわけです。

 

僕のブログ名も由来はそこから来てますし。

 

WordPressやってると、もはや東大生のツラツラじゃないんですよね。

 

東大生のゴリゴリ。

 

改名しよかな、誰が読むねんってなりそうやけど。

 

まあそれで最近は自粛ムードも相まって、ほんま暇なわけじゃないですか。

 

そうなると、誰かに雑談でもなんでも聞いて欲しくなるわけですよね。

 

なぜニュースアプリのコメント欄が会員限定なのか。

 

やっぱ人って話を聞いてほしいんだなってね。

 

一人暮らし、一人寂しく独り言言うわけですが、それをインターネット上の人に聞いてほしいなって思うのがそのコメント欄の始まりだったりするわけです。

 

そこの需要に気付けた人は天才ですね、ニコ動とかもそう。

 

ほいではてなブログはそのながーーーーい独り言を誰かに聞いてもらえる究極のサービスな訳ですよね。

 

コロナのおかげで登録者数伸びてそうですけどどうでしょう。

 

ちなみに人が幸せを感じるランキング2位は自分語りをしてる時だそうですよ。

 

3位は美味しいものを食べてる時。

 

1位はご想像にお任せしますが、僕は経験済みです。

 

確かに幸せでした。

 

ってやかましいですね。

 

このブログを誰が読んでくれてるのか、読んでくれるのか、僕は全く分かりません。

 

でもやっぱインターネットの海に水を一滴垂らす快感、これはTwitterのツイートが止まらない理由でもあります。

 

時にはその1滴のおかげで魚がびっくりし、動いた魚を見つけたサメが食いに来る、なんてこともあるかもしれません。

 

僕は怖いものが苦手なのでサメが目の前にいたら、全力で殺しにかかります。

 

そして東京湾の海に沈めます。

 

その時の波紋はもはやかなりでかいもので、海も無視できないでしょう。

 

僕はそれくらい大きなサメを釣れるような人になりたいわけです。

 

みんなもそうじゃないですか?

 

いや、なにが言いたいかって言うと、影響力もちてええええええ!!!

 

インフルエンサーうらやましいいいい!

 

ってことですよ、はい。

 

あいつら海に隕石落としてるもん。

 

ヒカキンなんて地球VS月やらしてるもん。

 

俺なんて水1滴垂らして少し反応もらえただけでも嬉しいのに、ヒカキンはどんな気持ちなんやろ。

 

そりゃプレッシャーとかもあるやろうから、もちろん一長一短やろうね。

 

まあでも隣の芝生は青いって言うじゃないですか。

 

それで隣に行ってみたら俺がいたところが青くなってるんでしょ。

 

無限ループやん、人生つらたん。

 

いやなんの話、でも憧れを追い続けるのをやめるわけにはいかないわけです。

 

もしかしたら本当にそこが一番青いかもしれないからねえ。

 

いや我ながらなんの計画もなくツラツラと書いてるけど、なにが言いたいかってブログええよなって話。

 

東大生のツラツラ、開設してからどれくらい経つんか知らんけどさ。

 

まあまあいろんな人が見てくれたわけですよ。

 

その原点、はてなブログにはやっぱ感謝しないといけないなってさっき散歩してて思ったから家帰ってきて携帯でがんばってうってます。

 

ちなみにさっきの散歩、いつもとは違う道で帰ろって思ったら携帯の充電切れて、帰り方わからんくなって彷徨ってました。

 

誰も人おらんかったからマスク外したけど、久しぶりにフィルターを介さない外の空気はなんか違和感があった笑

 

今日もお昼飲食店から出た時、マスクつけてなくてそのことに気づかず歩いてたら前のお姉さんがいい匂いでした。

 

ということで、また気が向いたらこっちでもツラツラと書こうかなと思います。

 

WordPressの方もよろしくね。