東大生のツラツラ

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読書感想文は不要なのか?

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ツイート主がアカウントを削除してしまったので、元のツイートを見ることができないが、読書感想文は不必要というであるというつぶやきが話題になっていた。(一応ライブドアニュースのものがあったのでそれを貼っておく)

読書感想文が日本の読書嫌いと作文嫌いを助長している、これがつい主の主張だ。
めちゃくちゃ拡散され読書感想文の是非について議論されているが、いまだに必要なのかどうかという結論は出ていないようだった。

このnoteでは読書感想文の良い点と悪い点を整理してから、読書感想文の立ち位置を確認するところから始めたい。

僕の結論から言っちゃうと、読書感想文はあっていいものだと思う。

読書感想文のメリット

 

・読書をする機会を提供してくれる。
・作文力をつけることができる。

主にこの2つだと考えている。

普段から本を読まない学生が、夏休みという時間たっぷりの期間を使って本を読む機会を得られるというわけだ。
そしてその感想を作文としてまとめることで、段落の変え方や自分の意見の書き方などをまとめる底力を養うきっかけにもなる。

読書感想文のデメリット

 

・読書とは本来娯楽であるべきなのに、強制させることで読書嫌いを促す。
・自分の気持ちを文章で表現することは本来楽しいことなのに、作文形式で強制させることではそれらを教えることができない。

これはほとんどツイート主が主張していたことだ。

確かに課題という形式で強制させられることで、読書に対してネガティヴなイメージを持つ学生も多くなるだろう。
しかも、読んでどんな感想を抱くかわからないのに、字数を決められてその字数に到達するまで思ってもない感想をひねり出す作業は苦痛でしかないだろう。

読書感想文の立ち位置

 

メリットとデメリットを見てもらえばわかる通り、トレードオフな関係になっていることがわかる。

確かに読書をするきっかけにはなるかもしれないけど、それが読書を嫌いになるきっかけになるかもしれない。
作文力はつくかもしれないけど、自分で文章を書くことの楽しさを感じられないかもしれない。
何らかのメリットを取ろうとした時に何か不都合が起きるようなことをトレードオフな関係というが、まさにそれになっている。

そうなると、人それぞれどれを重視するかによって意見が分かれてくるのだが、まず読書感想文の立ち位置を確認したい。

読書感想文というのは大抵は小学生に課されるものだろう。

中学生、高校生と上がっていくにつれて国語で求められる力は変わってくる。
具体的にいうと高校なら国語は現代文という科目に変わる。
そして英語という外国の言語も勉強することになる。
しかし、日本の教育スタイルとして、それらの科目を通じて言語力そのものを鍛えることは期待していない。
わかりやすく言い換えると、言語を使いこなすことだけに集中するなら英語なんてペラペラ話せるようになってるだろう。

しかし、6年間勉強しても特に英語は話せるようにならない。
それは論理的思考力を鍛えることを目標としているからである。
現代文の要約力、英語の文法を暗記して難しい文章を一つ一つのルールに当てはめて紐解いていく能力などなど。
では、論理的思考力を身につけた状態をAとしよう。
日本の教育では最終目標としてAを目指しているのだ。

そして、読書感想文がいらないという人たちの理想として、娯楽として本を読むことや自由に楽しく文章を書く状態がある。
その状態をBとする。

すると、読書感想文はAとBのちょうど中間地点であると言える。
小学生にとっての読書感想文は、BからAに移動するための架け橋みたいな役割を持っているのだ。
読書の感想自体はどんなことを書こうとも自由である、その意味でBの側面を含む。
しかし、Aの力を養うためにも作文という形式は必要だし、読書を強制することで読解力をつけさせる狙いもあるだろう。

AとBの中間地点であることを考えると、中途半端な面が多くなってしまう。
読書感想文が議論の対象となりやすいのはそれが原因であろう。
さて、読書感想文の立ち位置を一通りまとめたところで、じゃあ僕はどう思ってるのかということについて触れていきたい。

読書感想文は必要なのか?

 

結論から言うと、読書感想文は必要だと思う。

読書感想文で読書が嫌いになる学生がいる。
自由に文章を書くことの楽しさを伝えるべき

以上の2点から僕の意見を書く。

 

まず、読書を強制されたことによって読書が嫌いになる学生がいると言う話について。

では彼らが読書を強制されなかったら読書を好きになっていたのだろうか?
そこに関しては疑問を感じる。
もちろん、読書を強制されたことによって本を読む機会をゲットし、それで本を好きになった子が多いのかどうかもわからない。
しかし、僕の意見だが強制されたくらいで一生読まなくなるなら、その子はもともと読書に熱中しなかった可能性が高いと思う。

僕は読書感想文を書くとなった時に、父親に勧められて初めて『ガンバの冒険』という本を読んだ。
ネズミたちの冒険の話だが、夏休みをかけて何日にも分けて読み進めた覚えがある。
その時初めて読書が自分の知らない世界につれて行ってくれることを知ったのだ。

僕がこのような体験をした以上、読書感想文がきっかけで読書が好きになった子も一定数いるのではないかと感じる。

 

また、自由に書くことの楽しさを読書感想文だと知ることができない、というデメリットについて。

読書感想文では楽しさを知ることができないので、自由に文章を書いてきてくださいという課題を課すのだろうか?
それは”自由”に文章を書くことを”強制”させるという矛盾を孕んでいる。

また、作文というのは自分の言葉がどんなまとまりを持って、どの段落ごとにきれるのかを考えながら書くものである。
それはつまり、自分の考えを整理しながら相手にわかりやすく伝える訓練にほかならない。
これは社会に出てから、難しい問題について自分の意見を他者に伝える時に必要となる力だろう。

もちろんこのnoteみたいに自分の考えや思ったことをエッセイ風に書くことも力がつくだろう。
しかし、それは自由な分いつでも誰でもできるという側面がある。
それをあえて課題に課すことは疑問が残るだろう。

結論

読書感想文が必要であるという僕の意見について述べてきた。
しかし、それでは排除してしまっている点があるのも事実である。

なので、究極的な結論としては、学校の先生がこの読書感想文の立ち位置を理解すべきであると思う。
例えば、自由に文章を書くことの楽しさを教えることも先生ならできるだろう。
また、読書感想文がどうしても嫌いな人がいるならば、Aの力をつけるために作文だけを課すとか、そこらへんの対処法はたくさんあるはずだ。

僕が一番問題だと思うのは、学校の先生たちが理由もわからず宿題を出し続けることである。
なぜこの宿題を出すのか、それについて常に疑問を持ちながら取り組めば教育の質も良くなるだろうし、既得権益にすがることもないだろう。
読書感想文が昔からあるから今もある、これでは少しばかり寂しい。

とりあえず、読書感想文がこんなに話題となるのはここまで書いてきたたくさんの経緯が絡んでるからだ。
一度紐解いてみると、なかなか面白いものが見えてきた。

まとめます。

読書感想文は良い。