東大生のツラツラ

東大の授業の様子や自分が普段考えたことをツラツラと綴っていきます。読者登録やコメント等とても喜びます笑

キネマの神様

ブログ書いてるそこのあなたに読んで欲しい本がある。

 

『キネマの神様』だ。

 

この本は、映画の話である。

 

会社に勤めてシネマ建設に携わり、順調にキャリアを積み上げていたものの、その仕事を辞めた娘。

 

ギャンブル依存症でありながら、映画が大好きな父親。

 

いつもダメな父親の尻拭いをする、優しいというか甘い母親。

 

物語は父親が心臓病で入院するところから始まる。

 

入院する日がちょうど娘が仕事を辞めた日だったのだ。

 

無事退院した後も、ギャンブルをしたくて仕方がない父親。

 

借金が400万あることが明らかになり、母親と娘はどうしてもギャンブルをさせまいとする。

 

そんな崩壊寸前の家族の父親と娘には唯一の共通点が。

 

そう、映画である。

 

娘はある日、父親がずっと書き続けていた映画日記を見つける。

 

そこには作品ごとの感想が書かれているのだ。

 

映画の感想は、独特の風に書かれている。

 

決して作品を貶さない、作品のいいところにあえてもう一度光を当てるような、そんな感想の書き方なのだ。

 

僕自身この感想文を読んだ時、筆者の表現力に感動してしまった。

 

少し俯瞰的に小説を読んでる自分に冷めながらも、筆者の映画の知識の深さをうかがわせるようなそんな感想文なのだ。

 

それに感動した娘は、感想を書き残し、その場を後にする。

 

後日、たまたまその文を発見した父が不慣れながらも映画サイトに娘の文を投稿する。

 

するとどうだろう、向こうの目にその文が止まり、娘は有名映画雑誌の専属ライターに抜擢される。

 

そこから物語は進んでいくのだが、僕は冒頭にブロガーの方にこそこれを読んで欲しいと書いた。

 

なぜなら、それは映画の話でもあり、映画のブログの話でもあるからだ。

 

この後父親と娘でブログを書いていくことになるのだが、そのブログが物語の鍵を握ることになる。

 

僕はブログを書くこと、いや、もっと言うと自分の感性を発信することの可能性をこの小説から学んだ。

 

そしてなんともう一つ、この物語のポイントは"映画館で"映画を見たくなることだ。

 

映画座という、少し小さめなスクリーンで館主が選ぶ映画2本を放映する、昔ながらの映画館が物語で出てくる。

 

ここで、こんなシーンがある。

 

映画なんて今時古い映画座で見ないでDVDで見る人がほとんどだろうという人に対して主人公が意見をいうシーンだ。

 

_____________

 

『映画は映画館で観てもらう。そのために、全ての映画人が努力しているのよ。そんなこともわかんないのあんたは。』

 

それだけじゃない。

 

莫大なお金と持てる情熱の全て。

 

映画人は人生をかけて映画を世に送り出している。

 

スクリーンに広がる世界に観客をどれだけ引き込めるか。

 

それこそが最も重要な結果であるのだ。

 

DVDで観られればいいや、と思って映画を作る映画人がどこにいるものか。

 

____________

 

 

と、このように映画を作成する人は映画館で放映される映画に価値を見出しているということがわかると思います。

 

映画館には神様がいるんです。

 

映画が終わってから、余韻を崩さないようにそっとつく明かり。

 

少し暗めで急すぎない坂の廊下を進んでいく。

 

そしてようやく出口で、現実の世界に戻ってくるのだ。

 

この、映画館全体で感じる映画という"芸術"の鑑賞を僕は今たまらなくしたい。

 

コロナが憎い。。

 

作品のネタバレは一切してないつもりなので、興味がある方は是非是非是非読んでみてください。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

プチプチをつぶしながらおっぱいを考える

荷物を梱包するあれ。

 

プチプチ。

 

幼い頃お世話になった人も多いのではなかろうか。

 

あの丸を潰す快感。

 

なんで快感なのかよくわからないけど、あの快感を再現するようなおもちゃもあった。

 

んでいま、たまたま荷物の中にあったぷちぷちと再会した。

 

久しぶりに潰していく。

 

ガチで気持ちいいww

 

これは幼いからじゃなくて、人間に埋め込まれた本能なのかしら。

 

そう思わずにはいられない、一応僕も歳をとったから。

 

ただ、僕はこれを潰しながらある仮説を考え出した。

 

『プチプチがなぜ気持ちいいのか。』

 

まず、空気が入った丸を探す。

 

これを本プチと呼ぶ。

 

逆に潰した後の用済みを済プチと呼ぼう。

 

最初はもちろん本プチしかないわけだから、潰すたびに快感を得られる。

 

しかし、ほとんどを潰し終わった後が問題だ。

 

数ある済プチをかき分けて、手探りで本プチにたどり着いた時、そこがまず第一の快感ポイントである。

 

そして潰すために、その本プチに力を入れて始める。

 

親指と人差し指に力を込める。

 

潰さないで!と本プチは反発。

 

その間、本プチが微かに横に膨らむ。

 

些細な抵抗も虚しく、『プチッ』という音を立てながら本プチは済プチへと変化する。

 

この、少し力を入れて弾ける過程、弾ける瞬間に私たちは快感を覚えるのだ。

 

これ『おっぱい』と同義である。

 

『おっぱい』という言葉を考えて欲しい。

 

『お』という母音で離陸するその言葉は、最初母親の温かさを思い出させる。

 

母の偉大さが『お』につまっている。

 

しかし、温かさだけではない。

 

同時に私たちはその『お』に母親の怖さを見出すのだ。

 

そんな不安と同時に出発した『おっぱい』、次に待ち構えるのは『っ』である。

 

ここでなんと、一旦溜めるのだ。。。

 

そう、まるで本プチを押してすぐには潰れず、ささやかな抵抗をするかのように。

 

そして、次の瞬間、『ぱ』で一気に弾ける。

 

ぱぴぷぺぽのパ行で弾けるというイメージがあるのは僕だけではなかろう。

 

そう、この『ぱ』は本プチが済プチに変わる瞬間なのだ。

 

そして最後、この旅の締めくくりはやはり、母を思い出させる母音の『い』。

 

なんとも言えない安心感と共に、僕たちは『おっぱい』と今日も発声を終えるのであった。

 

プチプチをつぶしながらふと思ったことでした。

 

プチプチ。

 

はてなブログってやっぱ良いかも

いやー、僕2月くらいからWord Pressの方でブログ頑張っててー。

 

よかったら見てね、https://turatura.jp

 

それでふと思ったんですよ。

 

はてなブログってTwitterとWord Pressの中間だなって。

 

どゆことかっていうと、Twitterは140字の制限がある。

 

WordPressは制限ないけど、適当に綴るだけではあんまり上手くいかない。

 

そう、はてなブログは制限なしに無限にツラツラ綴れるわけです。

 

僕のブログ名も由来はそこから来てますし。

 

WordPressやってると、もはや東大生のツラツラじゃないんですよね。

 

東大生のゴリゴリ。

 

改名しよかな、誰が読むねんってなりそうやけど。

 

まあそれで最近は自粛ムードも相まって、ほんま暇なわけじゃないですか。

 

そうなると、誰かに雑談でもなんでも聞いて欲しくなるわけですよね。

 

なぜニュースアプリのコメント欄が会員限定なのか。

 

やっぱ人って話を聞いてほしいんだなってね。

 

一人暮らし、一人寂しく独り言言うわけですが、それをインターネット上の人に聞いてほしいなって思うのがそのコメント欄の始まりだったりするわけです。

 

そこの需要に気付けた人は天才ですね、ニコ動とかもそう。

 

ほいではてなブログはそのながーーーーい独り言を誰かに聞いてもらえる究極のサービスな訳ですよね。

 

コロナのおかげで登録者数伸びてそうですけどどうでしょう。

 

ちなみに人が幸せを感じるランキング2位は自分語りをしてる時だそうですよ。

 

3位は美味しいものを食べてる時。

 

1位はご想像にお任せしますが、僕は経験済みです。

 

確かに幸せでした。

 

ってやかましいですね。

 

このブログを誰が読んでくれてるのか、読んでくれるのか、僕は全く分かりません。

 

でもやっぱインターネットの海に水を一滴垂らす快感、これはTwitterのツイートが止まらない理由でもあります。

 

時にはその1滴のおかげで魚がびっくりし、動いた魚を見つけたサメが食いに来る、なんてこともあるかもしれません。

 

僕は怖いものが苦手なのでサメが目の前にいたら、全力で殺しにかかります。

 

そして東京湾の海に沈めます。

 

その時の波紋はもはやかなりでかいもので、海も無視できないでしょう。

 

僕はそれくらい大きなサメを釣れるような人になりたいわけです。

 

みんなもそうじゃないですか?

 

いや、なにが言いたいかって言うと、影響力もちてええええええ!!!

 

インフルエンサーうらやましいいいい!

 

ってことですよ、はい。

 

あいつら海に隕石落としてるもん。

 

ヒカキンなんて地球VS月やらしてるもん。

 

俺なんて水1滴垂らして少し反応もらえただけでも嬉しいのに、ヒカキンはどんな気持ちなんやろ。

 

そりゃプレッシャーとかもあるやろうから、もちろん一長一短やろうね。

 

まあでも隣の芝生は青いって言うじゃないですか。

 

それで隣に行ってみたら俺がいたところが青くなってるんでしょ。

 

無限ループやん、人生つらたん。

 

いやなんの話、でも憧れを追い続けるのをやめるわけにはいかないわけです。

 

もしかしたら本当にそこが一番青いかもしれないからねえ。

 

いや我ながらなんの計画もなくツラツラと書いてるけど、なにが言いたいかってブログええよなって話。

 

東大生のツラツラ、開設してからどれくらい経つんか知らんけどさ。

 

まあまあいろんな人が見てくれたわけですよ。

 

その原点、はてなブログにはやっぱ感謝しないといけないなってさっき散歩してて思ったから家帰ってきて携帯でがんばってうってます。

 

ちなみにさっきの散歩、いつもとは違う道で帰ろって思ったら携帯の充電切れて、帰り方わからんくなって彷徨ってました。

 

誰も人おらんかったからマスク外したけど、久しぶりにフィルターを介さない外の空気はなんか違和感があった笑

 

今日もお昼飲食店から出た時、マスクつけてなくてそのことに気づかず歩いてたら前のお姉さんがいい匂いでした。

 

ということで、また気が向いたらこっちでもツラツラと書こうかなと思います。

 

WordPressの方もよろしくね。